Channel
シェアハウスが「当たり前」になるまで。一人の旅人が描いた15年の軌跡
東京シェアハウス 森山 哲郎 - MOVの100人インタビュー

--まずは簡単な自己紹介をお願いします。
東京シェアハウス合同会社の代表を務めている森山哲郎(もりやま・てつろう)です。主な仕事は、東京を中心にシェアハウスを紹介するポータルサイト東京シェアハウスの運営です。
2010年に設立し今年15年目になります。当時は、まだシェアハウスという名前やカテゴリが確立していませんでしたが、当時から考えれば、ライフスタイルの一つとして育ったと言えると思います。
ウェブサイトの運営なので規模拡大を重視するのが通常ですが、共有スペースがない物件や法令を軽視する物件の依頼も多く、結果的に掲載をお断りすることも本当に多くありました。
虚偽記載の申告などもあり、文化として育つには、掲載前に現地確認の必要性を感じ、必ず自分たちで写真を撮るなど、自分たちの価値観を大切に活動してきたので、結果として他のサービスとの差別化になり、思いが文化の浸透につながったのだと感じています。
--「シェアハウス」の特徴や対象者を教えてください。
シェアハウスの場合、不動産事業者の仲介を介さず、ウェブサイトで直接見つけるのが殆どだと思います。ですので、仲介手数料が発生しない場合が多いのですが、共同生活ということもあり、住む人の権利が賃貸契約に比べて小さい定期借家契約が主流という点は注意が必要だと思います。
メリットとしては、家具が備え付けられているため購入する必要がないこと、敷金礼金がほとんど発生しないので初期費用を抑えられること、また、20代から30代前半の単身者がメインのため、価値観の近い人たちと一緒に過ごせることが挙げられます。
入居前に面談があったり、入居後に溶け込めるかは人それぞれだと思いますが、物件の規模や運営スタイルによって雰囲気も異なるので、いくつかのシェアハウスを見比べて自分に本当に合うのか検討することは大切だと思います。
コロナ禍以降は、物件の増加はゆるやかですが、サイトの利用者数は過去最高を更新したこともあり、シェア型のライフスタイル、コミュニティへのニーズの高まりは特に感じています。
--なぜシェアハウスの事業だったのですか?

僕はもともとバックパッカーというか、海外を転々とする生活をしていたんですよね。高校卒業後、オーストラリアに行ったのが最初なんですが、結局、合計8年くらい海外に滞在していました。
日本に戻って東京で就職しましたが、家と会社の往復だけの日々は正直、退屈でした。
海外にいた時の方が友人もパッとできたし、ワイワイガヤガヤしている生活が自分にはあっていたので、当時はゲストハウスと呼ばれていたんですけど、そういう共同生活を送る場所に引っ越しました。
実際、そのおかげで楽しい日々が続きました。美味しい食事やお酒を楽しみながら、一緒に笑い合えば自然と仲良くなれる。そんな場所が好きなんだと思います。
でも、東京全体を見渡すと、皆、孤独というか、つながりの少ない社会だと感じたんですよね。なぜ、東京はつながりを感じる場所が少ないんだろう、と。
自分が抱え込んでいた不安や孤独感を、自分と似たような生活を送っている人は、きっといると感じたので、「だったら、増やそう」と、気づいたら、会社を作っていた感じです。
--バックパッカー時代について、もう少し詳しく教えてください。


目の前のことに夢中になっていたので、計画性とかは殆どないのですが、その国で生活できるように、言語を覚えて、現地でお金を稼げる環境を整えることは大切に考えていました。
オーストラリアを旅していると、やっぱり大自然、特に海がこの上なく、綺麗なので、憧れでした。
グレートバリアリーフのヘイマン島にあるホテルに運良く採用されました。一流のスタッフと共にゲストを喜ばせる工夫やサプライズを考えたり、休日にはダイビングやパーティーを楽しんだり、人生観を変える経験でした。
その後、アジアからヨーロッパまで旅をしたのですが、中国に可能性を感じて、中国にある南京大学に留学し中国語を学びました。それから北京にあるコンサルティング会社やタイのバンコクにある人材紹介会社で働いたりしていました。自分としては旅を続けていただけなのですが、今でいう「ノマド」的な生き方になるのかもしれません。
--会社を設立して、すぐにうまくいったのですか?
全然上手くいきませんでした。今振り返ると、「よく生きていたな(笑)」と思うくらいです。
あまり深く考えずに会社を設立したので、当然かもしれませんが、頭に「東京シェアハウス」という名前が浮かんできたので、とりあえず、その日のうちに、ドメインを取得して、オンラインで会社設立の手続きをしたのが始まりです。
ゲストハウスとか、シェア住居、シェア賃貸など色々な名前で呼ばれていた時期だったので、共生型の住まいにニーズがあるのは実感していました。なので、何とかなるだろう、もし、会社が上手くいかなくても、結果として、自分と似ている「誰か」の役には立てるだろう、そんな感じでした。
イメージしていたウェブサイトを作成して、運営者に「こういうことをやりたいんです」と一つ一つ説明しながら飛び込んでいき、営業していく、というスタートでした。
東京には「シェアハウス」のような共生型の住まいが必要だという空気感があったことは本当に運が良かったです。お金や利回りしか考えないオーナーさん、運営者さんばかりだったら、こうした市場としては育たなかったと思います。社会にとって良いものを作りたい、若い人に役立つ住まいを提供したいと考えている人と一緒に仕事ができたのは有り難い事ですよね。
営業で訪問すると、要望だけじゃなく、アドバイスをくれたり、他の方を紹介してくれる運営者さんも多かったです。「載せるけど、写真は綺麗に撮ってよ」と依頼もあったので、自分で考えたというよりは、お客さんと対話を重ねながら自然とサービスが形作られていった感じです。

最初のうちは写真代やデータ整理代だけで活動していました。お金よりも、未来につながってる感じが楽しかったんだと思います。
また、訪問したシェアハウスの記事を書きながら、サイト上で紹介をしていたのですが、途中で人気がでるようになり、記事を書くと満室になる、と言われた時もありました。
軌道に乗れたのは、サイトを開設して1年半くらい後だと思います。「面白い取り組みだね」とメディアから取材を受け始め、検索結果でも上位に表示されるようになりました。
取材に来た新聞記者の一人が『一緒に働きたい』と申し出てくれ、実際にチームに加入してくれました。その頃から、事業にスピード感が出て急速に伸びていったと思います。
業界も盛り上がり、シェアハウス全体の質、知名度も上がって行く中で、優秀なインターン生が何名も加入してくれたり、メディアでも取り上げられ、シェアハウス市場が益々盛り上がるという好循環が起きたのだと思います。
検索では常に上位だったので、有名なテレビ番組でシェアハウスが取り上げられるとウチのサーバーが落ちるという日々が続きました。
--プライベートでは、どのような活動をしていますか?

今は、八ヶ岳に拠点を設けて、二拠点生活をしています。
仕事の殆どはリモートでできるし、都会の利便性も良いけど、自然のある場所に魅力を感じていたのだと思います。
元々、歴史や神話、古来の物語が好きなので、自分の心に耳を傾けながら、新しい拠点を考えていたら、自然と八ヶ岳地域に辿り着いていました。
標高の高いエリアなので、空気も星も綺麗だし、野菜を育てたり電気を自給したりと、自然と共生する暮らしを楽しんでいます。学びも多いし、心も落ち着くので仕事へのプラスはとても大きいです。
--今後やりたいことは何ですか?
以前はコロナ禍の疲れがあったのですが、八ヶ岳での二拠点生活を始めてから、エネルギーも回復しました。改めて仕事への意欲が高まっていて、以前より、クリエイティブとテクノロジー領域への興味が強まった気がします。
提供しているサービスがどう進化するのか考えるのも楽しいし、今、僕らが仕事と読んでいる殆どのものは、AIが担うようになる未来だと思うので、二拠点生活やAIの活用含めて、自分が体験して良かったことを、昔の自分のように困っている誰かの役に立つサービスにつなげて、今後も起業家として活動していきたいです。
--MOVはどのように利用していますか?
昔のシェアメイトの一人がMOVの受付として働いていたので、おすすめされて来たのが最初です。2012年から利用しているので、とても長い間、お世話になっています。
以前は個室を借りていましたが、今はメンバー会員として利用させて貰っています。これ以上ないくらい打ち合わせには便利ですし、受付の方々の明るい声や和やかな空気を感じながら作業したい時に、今後もぜひ活用させてもらいたいですね。
MOVの100人インタビューに挑戦中! ↓↓↓